「にもかかわらず」

http://blogs.dion.ne.jp/m_takata/archives/1455384.html
関係ない話かもしれないが、この間、ラジオでNPO法人「自殺防止センター」の人が話していたことを思い出した。
統計によれば*1、毎年自殺者は増えているにも関わらず、自殺者の遺族に対する正体不明な偏見というのはやはり強烈に存在してしまっていて、遺族が社会で生きていく上での足かせになっているとか。
また、自殺者が一人出ると、その知り合いの5人に1人は自殺を何とかできたんじゃないかという責任のようなものを背負って精神的な負荷を抱えてしまい、悪い場合はそれが元で体調を崩してしまうというマイナスのスパイラルが発生し続けてしまっているとか。


生きるって大変なことであることは誰もが知っているけど、「なぜ生きなきゃならんの?」と聞かれたとき自分はどんな答えを持ちうるだろうかと、ふと思った。
ひとつの答えは、上のブログでも言っているように、それでも生きているから、生きていれば明日があるから、といったまあある意味で希望的観測と言っていいのか分からないが、そういう心持ちでいることなんだと思うけど、希望が持てなくなるような時ってやっぱりあるわけで、そういった各個人のバイオリズムとか心の起伏がある中でそれを防ぐ手立てってやっぱり人間関係にあるんだと思う。いろんな人の波があっても高い人が低い人をカバーして自殺発生リスクを減らしていかなきゃ防ぐことは出来ない。
要するに「人は一人では生きていけない。」と言うことなのかも知れないけれど、現代の利益追求型社会でそういうリスクヘッジをするだけの冗長性っつーか余裕を生み出すのは容易なことではないよな。


とかなんとか。とりとめもなく思った。

*1:といっても正確な自殺統計というものは存在しないらしい。警察が出しているのはその他分類不可能なものを自殺として扱った件数みたいなもので、日本に自殺者数の統計はないらしい。