The Real Group GIG

本家のサイトのコンサートのところにJapan Gigと書いてあったのでGigと言ってみよう。
Real Groupの来日は2回目。今回と前回、2回とも行けたわけだが、やっぱりこの人たちは何なんだってくらいすごいですよ。


実は、俺はむしろReal Groupの最近のアルバム(One for All以降のポップ路線に移ってから特に。)には余り「すごさ」を感じないのです。勿論、よく聞くとすごいと思うけど。その凄さはまたいろんな意味があるので、ちょっとその「すごさ」って言うものについて考えてみよう。
Real Groupのアルバムになんで「すごさ」を感じないと思うのかって、彼らは確かにボーカルグループなんだけど、アルバムの音はかなり加工された音だというのもあって、言ってしまうとパッと聞いただけだと本当に楽器に近い。それはもちろん彼らのコーラスでの発声法とか発音法とかにそういう「ストレートさ」みたいなものがあったり、音のエッジの作り方に明確な方向性を持ったエンジニアリングがあるからなんだけど。でも、だからこそ、彼らのアルバムは他の、普通に楽器を使っているミュージシャンと同じく「聞き流せて」しまう。実はそれ自体が、コーラスグループとしてはありえないこと。だからそれは「すごい」と言えばそうなんですが、一音楽として聞いた場合、それが声でこんなことをしてるから凄いとか、ギターでこんなことしてるから凄いとか、クラリネットでこんなことしてるから凄いとかっていうのは問題にはならないと思うのです。だってそれは演奏家の視点であって、聴衆の視点ではないから。
ここでもう少しバードビューで考えてみる。何で日本でアカペラが一時期の盛り上がりが本格的なジャンルとしての認識にならずに一時的なブームで終わってしまったかというと、結局市場が狭いまま演奏家たちの内輪の盛り上がりで終わってしまったことにあると思っている。つまり、外から見れば「へー、声だけでやってるんだ。偉いね」に過ぎなくて、最終的に買い手が欲しいのは「良い音楽」なのに、宴会芸の一種みたいな扱いで珍しいものだからメディアも取り上げたりして、じゃあとりあえずブームに乗ってみるかと一般客も一時の祭り的な盛り上がりを見せたものの、実体の音楽性という意味では既存の音楽の焼き直しであったり、元の演奏者がやっている演奏のコードを元に各パートにそのまま音を割り振っただけの演奏が席巻してしまった結果、「まあなんのかんの言って、やっぱ元の演奏がいいよな」という一般音楽消費者の共通見解で終わってしまった。特にボイパなんて宴会芸みたいなものという認識で終わっている最たるものだろう。


でReal Groupに戻るけど、彼らの凄さは、アカペラ云々という演奏形態の問題を超越して音楽性が素晴らしい点が何よりも「すごい」。
彼らのアレンジメントは元の音楽を真似るのではなく、新しい音楽として創られたものだと思う。これこそがアレンジの価値だと思うのです。編曲が創造的価値をなかなか認められないことは非常に問題のあることだと思うんだけど、なんで創造的価値を認められないかというと、編曲は作曲に比べて明確な創造性が分かりにくいというのが一般的な見方だろう。さらに、創造的価値があると誰にでも認められるような編曲を行える編曲家の絶対数がどうしたって鼻歌を作曲と言ってしまう人の数に比べて圧倒的に少なくならざるを得ない。
この辺の話は阿部恒憲さんのコラムの方が当事者として非常に切実かつ分かりやすいのでそちらに譲る。


アカペラで聞かせるからこそ素晴らしい音の作り方がある。同じ曲を元にしていたとしてもオケならオケの、ロックバンドならロックバンドの素晴らしい音の作り方がある。
Real Groupはそれを熟知した上で、アカペラでしかできない音作りをし、それが一般音楽消費者に他の演奏形態の音楽と並べても、物珍しさではない音楽性で勝負できる創造性を持ったインパクトを与えられるところが、俺がReal Groupを「すごい」と思う点であるわけです。
決して彼らのオクターブのユニゾンが完全に一致してて綺麗だとか、この6度のハーモニーが絶妙だとか言った演奏者の視点での「すごさ」ではなく。


ぜんぜんライブレポじゃないけど、思ったのはそんなとこ。
ライブは、アルバムとは違って凄かった。生の音圧とか息遣いとかはやっぱり圧巻。
それも、技術がどうとかじゃなくて、バンドのライブに行ってみたらアルバムとはぜんぜん違う印象で凄かったのと同じなんじゃないかな。