台風6号が来た日に

むかしは台風が来た日には嬉々として窓に吹き付ける風と雨を眺めながら嵐の持つ力にワクワクしてた。
外に飛び出して雨風と闘ってびしょびしょになって怒られたり。
そういう、単純な欲望をそのまま身体で表現できなくなったのはいつからだろう。

横断歩道は右を見て左を見て、もう一度右を見てから渡ると教えられた。
でも横断歩道のように単純には行かないことが分かってきて、右見て左見たら、念のため後ろを見て前を見て、そういえば上も確認して、もしかしたら下も確認して。
そしたら最初に確認した右や左はもう安全じゃなくなってるだろう。
だから、また右を見て左を見て。
確認してばかりで渡れないでいる。

渡っちゃったら意外とすっと渡れちゃったりするのにね。
ま、事故っちゃった人も何人も見てるんだけど。
俺は事故っちゃった人なんだけど。

いや、違うな。
誰もが多かれ少なかれ、大きかれ小さかれ事故ってる。
そこから何を得たのかということか。

別にそれが人生を決定づけるような選択であっても、雨にたまには降られてびしょ濡れになってみたいというさして意味のない欲望であっても、その行動を決定づけるのは兎にも角にも、結局最後は自分を信じられるかどうか、なんだよな。

愛すべきたくさんの人達が僕を臆病者にしてしまったんだ。
でも、愛すべき人達を、愛すべき人達の愛してくれた自分を、つまりは世界を信じられるかなんだ。