政府の方向性

今現在の資本主義社会で起こっている競争というのが、際限のない人間の欲望のように思えてくる。
それで満足か?

ポスト産業資本主義とは、人の価値がお金の価値よりも高まる時代であるといいます。

だとすれば、人はただ報酬のために働くのではなく、自らの人生の喜びを仕事に見出さなければならなくなるでしょう。そして、そういう人こそがポスト産業資本主義社会における本当の意味での勝者なのです。

人の価値がお金の価値よりも高い、ということは、要するに人の喜びはお金では買えない時代に突入しているというわけです。

http://blog.livedoor.jp/shi3z/archives/30631439.html

このブログでは岩井克人教授の主張するポスト産業資本主義社会についてこう言っている。
なるほど、では、今の社会はポスト産業資本主義社会に突入しているだろうか。


マーケティング戦略が発達し、いらないものをいるように錯覚させてありもしなかったニーズを創出したりすることは、果たして人の喜びに繋がるのだろうか。
それは詐欺師が引っ掛けた相手に対して抱く満足感でしかなく、客にとってみればマヤカシの充足感で満足した気分にさせられただけではなかろうか。
客はあとでそれがマヤカシだと気づいても、満足だったと言えるだろうか。


俺のたいしたことない頭では、今は小さな政府に走って競争を激化させることよりも、大きな政府による庇護と市民レベルの相互扶助を発達させることが必要なんじゃないかと思ったりしてしまう。

一時期もてはやされたスウェーデン方式の大きな政府も、10年も前に行き詰まり、アメリカンスタンダードたる小さな政府の流れに抗えなくなっている。
ならばアメリカンスタンダードに追従すればよいのか?しかし、音楽をはじめとする芸術の分野では顕著だが、自分たちの世代はもはや誰かの真似をするのではなく、試行錯誤しながら自分なりのスタイルを作り出す世代なんじゃないかと思う。

今すぐにどうするということではないけれども、少なくとも時代の趨勢として自分たちのスタイルを作り出す方向に傾くと自分は読んでいるが、その中で、自分が今できること、将来できることは多少ながらも見据えていたい。