Guilty / Not Guilty = 有罪 / 無罪?

三谷幸喜がちょっと面白い捉え方をしていた。
ベン図を想像しながら考えると分かりやすいかと思う。


Guilty/Not Guiltyは日本語にすると、有罪/無罪。
しかし、言葉が与える印象がかなり違う、と。


Guiltyは「罪である」で、Not Guiltyは「『罪である』ではない」。
つまり、Guiltyの排他的事象としてNot Guiltyがある。言い換えると、Guiltyと確定できる事象以外は全てNot Guilty。


一方、日本語の有罪は「罪である」、無罪は「罪でない」と一般的な感覚では考えられる。
この言葉では、「罪である」と確定できる事象と、「罪でない」と確定できる事象の要素があり、それ以外の事象があった場合の判断に困る、と言う。
つまり、罪かどうか判断つきかねる場合にどうしていいか分からないという印象を抱いてしまう。
判断がつきかねる場合、つまり罪であると確定できない場合はNot Guiltyつまり「無罪」が正解なのだが、そうは言われても納得は出来るがどうも抵抗感がある。
だって「無罪」でしょ?罪じゃないんじゃないの?と思っちゃう。*1


暇ではないが、絵を描いてみた。


これが日本で裁判員制度の普及に不審や不安を覚える人たちに割合共通している感覚ではなかろうか、ということなのだが、確かに俺も同じことを思っていた。
こういうことは弁護士さんや裁判官さんは世間ずれというか業界慣れというかし過ぎてて気づかないかもしれないが、結構でかい。その辺の呼び方を変えてみるのも一つの手かも知れません。
言葉のふしぎ。

*1:「無罪」と「無実」は別だといえばそれまでだけど、それが万人の共通見解として持てているかは甚だ疑問である