キャリアパス

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20050509/160473/

 例えば,ある人は「自分が好きなことをやれ」と言う。「好きなことをやらないと後で後悔するぞ」と言われるとたいていの人は焦ってしまう。でもその一方で,「本当に好きなことを仕事にするべきではない」という人もいる。仕事とは,そもそも生きる糧を得るためのものであって,つらくて当たり前なのだという。そう割り切れたら楽になるかもしれない。最初はつらくて仕方がない仕事でも,うまくできるようになるとだんだん面白くなってくるというケースはよくある。逆に,本当に好きなことを仕事にして,うまく行かなかったら,つらさは倍増してしまうかも知れない。

仕事に何を求めるか、だけどさ。
前者の「自分が好きなことをやれ」派、つまり仕事を自分の人生そのものとまではいかないけども、睡眠時間よりも長い時間行っている活動ならばいっそのこと無駄なく自分の為に使っちゃおうっていう人と、それはそれ・これはこれで分けて考える人。
前者は、自分を大事にしているという事も出来るし、人生の効率性優先のせわしなくセカセカしている人ということも出来る。基本的にめんどくさがりであれこれ考えたくない人ともいえるかもしれない。
後者「本当に好きなことを仕事にすべきではない」派も、自分を大事にしようという点では同じだと思う。ただしこちらは慎重派または臆病者で、他の者が自分の世界にどかどか侵害されたり尊厳を傷つけられる事のリスクヘッジの為に、敢えて人生の大部分を使うであろう仕事とは分けて考えられる。それが結果としてそもそも論の「生きる糧を得るためのものだ」という結論を後付で出しているようにも思える。


スペシャリスト−ジェネラリストの議論に近いものがあるけど、どちらもピボットとなるポイントが自分になければ立ち行きゃしないんだけど。


ただ、仕事がつらいかどうかは自分の能力に係っているというのは確かだろう。
仕事って言うのは大体において人がめんどくさいと思うこと、自分には難しくて出来ないと思うことを、それが出来る人、得意な人にやってもらおうという分業の観点からスタートしてる。なれば、その仕事を行う人間に専門性がなければ大変で辛いものになるのは当然なわけだろう。
記事では、こうすれば上手く行くという方程式はないといっているが、そういった本来的な話から考えると、「好きなこと」と「やれること」が異なっていて、かつやれることの専門的なノウハウを自分が学び取って行く自信のあることとそのニーズ、そして好きなことに自分が必要とする時間と金、そしてそれへの情熱の量から自分の道を選択する指標となるような値を式を作れなくもない気がする。